はじめに:物語の新たな幕開け
『葬送のフリーレン』の物語は、これまで静かで、どこか物悲しい雰囲気をまとって進んできました。魔王を打ち倒した勇者一行の魔法使いであるエルフ、フリーレン。彼女が、かつての仲間である勇者ヒンメルの死をきっかけに「人を知る」ための旅に出る、という後日譚(アフターファンタジー)です。その旅路は、過去の記憶を辿りながら、過ぎ去った時間と人の想いを静かに見つめ直す、内省的なものでした。
しかし、物語は5巻で大きな転換点を迎えます。魂の眠る地(オレオール)を目指すフリーレン一行の前に立ちはだかったのは、強大な魔族ではなく、「大陸魔法協会」が定める規則でした。北側諸国への通行には「一級魔法使い」の資格が必須であること。この一つの事実が、フリーレンと弟子のフェルンを「一級魔法使い選抜試験」という、全く新しい舞台へと導きます。
これまでの旅が過去との対話であったなら、この試験編は紛れもなく「現在」との激突です。物語は、一対一の魔族との戦闘や追憶の旅から、多数の魔法使いたちがそれぞれの野心や目的を胸に競い合う、緊密な緊張感に満ちた「バトルロイヤル」へとその様相を一変させます。
この巻の最大の魅力は、この試験を機に登場する、一筋縄ではいかない個性豊かな魔法使いたちです。彼らはフリーレンの過去とは無関係の、独立した存在であり、それぞれの魔法哲学、生き様、そして譲れない覚悟を持っています。彼らの登場は、フリーレンの世界観を揺さぶり、読者にも「現代の魔法使い」の多様で複雑な生態系を提示します。静寂の旅は終わりを告げ、物語は新たなキャラクターたちが織りなす、よりダイナミックで予測不可能な領域へと足を踏み入れるのです。
物語の舞台は「一級魔法使い選抜試験」へ
フリーレンたちが挑むことになった「一級魔法使い選抜試験」。それは単なる資格試験ではなく、魔法使いとしての実力、知性、そして人間性のすべてが試される、極めて過酷な試練の場です。まずは、この波乱の幕開けとなる第一次試験の概要と、その巧みに設計されたルールを見ていきましょう。
第一次試験のルールと過酷な現実
- 目的:隕鉄鳥(シュティレ)の捕獲第一次試験の課題は、試験会場となるグローブ盆地に生息する「隕鉄鳥(シュティレ)」と呼ばれる鳥を捕獲することです。このシュティレはコマドリのような愛らしい見た目に反して、魔力に極めて敏感で探知魔法に掛からず、音速を超える速度で飛行する頑強かつ俊敏な生物です。単純な攻撃魔法ではびくともせず、捕獲には高度な技術や特殊な魔法、あるいは卓越した戦略が求められます。この課題設定自体が、力押しだけでは通用しない、魔法使いの「質」を問うものであることがわかります。
- チーム構成:強制的な3人1組(パーティー)受験者は、ランダムに選ばれた初対面の者同士で3人1組のパーティーを組むことを強制されます。これは、個人の魔法スキルだけでなく、コミュニケーション能力や協調性、リーダーシップといった、即席のチームを機能させる能力を試すためのものです。
- 環境と危険性:生存競争の舞台試験は広大な結界内に閉鎖された盆地で行われます。しかし、そこは安全なフィールドではありません。空には魔物が飛び交い、さらにルール上、受験者同士の戦闘や妨害工作も許可されています。事実、この試験では死者が出ることも珍しくなく、合格のためには他のパーティーからシュティレを奪い取ることも選択肢に含まれます。それはまさに、魔法使い同士の生存競争と言えるでしょう。
- 合格条件:パーティー全員の生存とシュティレの保持合格の条件は、「日没のタイムリミットまで、パーティーメンバー3人が一人も欠けることなく、シュティレを保持していること」です。たとえシュティレを捕獲しても、仲間を一人でも失えばその時点で失格。この条件が、単なる奪い合いに留まらない、仲間を守り抜くという要素を加え、試験の複雑さと緊張感を高めています。
この試験のルールは、単なる障害として機能するだけではありません。それは、参加者たちの本質を炙り出すための、巧みな「仕掛け」として設計されています。シュティレという捕えにくい目標は、魔法使いの創造性と戦略性を試します。強制的なパーティー編成は、彼らの社会性と人間性を暴きます。そして、参加者同士の戦闘許可というルールは、それぞれの倫理観と覚悟を浮き彫りにするのです。この試験を通じて、私たちはキャラクターたちの魔法だけでなく、その魂の形を目の当たりにすることになります。
ネタバレあらすじ:三者三様のパーティーが挑む第一次試験の軌跡
運命の歯車が回り始め、総勢57名の受験者たちが19のパーティーに分かれて第一次試験が開始されます。ここでは、物語の中心となるフリーレンとフェルン、そして彼らと深く関わることになる主要パーティーの軌跡を、ネタバレを含みつつ詳細に追っていきましょう。
結成、運命のパーティー
ランダムに組まれたパーティーは、それぞれが全く異なる化学反応の萌芽を秘めていました。
- フリーレンのパーティー(第2パーティー)フリーレンは、幼馴染である二人の少女、ラヴィーネとカンネと組むことになります。勝気なラヴィーネは氷を操る魔法、おっとりしたカンネは水を操る魔法の使い手です。普段は口喧嘩ばかりの二人ですが、その連携は見事なもの。フリーレンは、そんな若者たちをどこか呆れながらも温かく見守る、保護者のような立ち位置で試験に臨みます。
- フェルンのパーティー(第4パーティー)一方、フェルンが組んだのは、今巻で最も危険で予測不能な二人でした。一人は、にこやかで掴みどころがない言動の裏に、共感性の低い危険な思想を隠し持つユーベル。もう一人は、他人を信用せず、常に面倒くさそうな態度を崩さないラントです。冷静沈着で実力主義のフェルンが、このあまりにも協調性のない二人をどう率いるのか、序盤から不穏な空気が漂います。
- デンケンのパーティー(第13パーティー)老練な宮廷魔法使いであるデンケンは、現実主義者で分析的なリヒターと、若く素直なラオフェンをまとめ上げます。その豊富な経験と的確な指示で、このパーティーは当初から高い安定感を見せつけます。
- ヴィアベルのパーティー(第8パーティー)北部魔法隊の隊長であるヴィアベルは、部下であるエーレ、シャルフと共に参加。元々一つのチームとして機能している彼らは、他の即席パーティーとは一線を画す連携力と、戦い慣れたプロフェッショナリズムを発揮します。
策謀と衝突
試験が始まると、多くのパーティーがシュティレの捜索に難航します。そんな中、真っ先に戦果を挙げたのは、意外にもフェルンでした。彼女は師であるフリーレンすら凌駕するほどの驚異的な魔力制御と魔法の発射速度を活かし、単独でシュティレの捕獲に成功します。この圧倒的な才能の開花は、彼女がもはやフリーレンの弟子というだけでなく、一人の傑出した魔法使いであることを証明すると同時に、彼女たちのパーティーを他の受験者たちの格好の標的にしてしまいました。
フリーレンのパーティーもまた、ラヴィーネとカンネの連携魔法を活かしてシュティレを確保しますが、その手法は経験に裏打ちされた、より老獪なものでした。
激突、フリーレン対デンケン
試験終盤、未だシュティレを確保できていないデンケンのパーティーは、合格への唯一の道としてフリーレンたちのパーティーに狙いを定めます。デンケンはフリーレンの底知れない実力を見抜きつつも、一切怯むことなく戦いを挑みます。
デンケンは「竜巻を起こす魔法(ヴァルドゴーゼ)」や、それを業火に変える「風を業火に変える魔法(ダオスドルグ)」といった、宮廷魔法使いとしての格を示す強力な魔法を次々と繰り出します。しかし、フリーレンはそれらをまるで子どもの遊びをいなすかのように、最小限の動きで完璧に防ぎきります。ここに、数十年を極めた人間の魔法使いと、千年を生きる大魔法使いとの間の、絶望的とも言える実力差が描き出されます。
覚悟の拳と湖上の決着
フリーレンとの戦闘で魔力を使い果たし、絶体絶命の窮地に立たされたデンケン。しかし、彼は諦めませんでした。魔法使いとしてのプライドを捨て、彼は叫びます。
「殴り合いじゃぁぁぁぁッ!!!!」

老魔法使いが拳を振るってシュティレの籠を奪おうとするその姿は、滑稽でありながらも、目的を達成するためにはいかなる手段も厭わないという彼の凄まじい「覚悟」を象徴する、今巻屈指の名シーンです。
最終的にシュティレを取り返したフリーレンは、複数のパーティーに追われ、広大な湖畔へと追い詰められます。そこで彼女が見せたのは、圧倒的な実力差を改めて知らしめる、神業とも言うべき一撃でした。フリーレンは巨大な湖全体を瞬時に凍結させる魔法を発動。追手たちの足を止め、悠々と氷上を渡って試験を終えるのです。多くの受験者が何が起きたかさえ理解できない中、デンケンだけがフリーレンが魔法を使ったことに気づき、その格の違いに戦慄します。
こうして、死者4名以上を出す苛烈な第一次試験は終了。フリーレン、フェルン、デンケン、ヴィアベルらのパーティーを含む、6パーティー計18名が、次なる試練へと駒を進めることになりました。
5巻の魅力と見どころ:個性豊かな魔法使いたちの饗宴
『葬送のフリーレン』5巻の物語を駆動するのは、間違いなく「一級魔法使い選抜試験」という舞台そのものです。しかし、その舞台を鮮やかに彩り、物語に深みを与えているのは、この試験に集った個性豊かな魔法使いたちです。彼らの存在が、これまでの『フリーレン』の世界観を大きく押し広げました。
ここでは、この試験で特に重要な役割を果たす新キャラクターたちを、一覧表で整理しつつ、その魅力と見どころを深掘りしていきます。
第一次試験 主要パーティーと受験者一覧
| パーティー | キャラクター名 | 主な魔法・能力 | 性格・特徴 |
| 第2パーティー | フリーレン | あらゆる魔法に精通、魔力制限 | 千年以上生きるエルフの大魔法使い |
| カンネ | 水を操る魔法 | おっとりした泣き虫、ラヴィーネと連携 | |
| ラヴィーネ | 氷を操る魔法 | 勝気で口が悪いが根は優しい、カンネと連携 | |
| 第4パーティー | フェルン | 一般攻撃魔法(ゾルトラーク)、高速な魔法発射 | 史上最年少で三級魔法使いになった天才 |
| ユーベル | 視認したものを切断する魔法 | 共感性の低い危険な思想を持つ戦闘狂 | |
| ラント | 精巧な分身を作り出す魔法 | 他人を信用しない皮肉屋、本体は故郷にいる | |
| 第13パーティー | デンケン | 竜巻を起こす魔法など多彩な魔法 | 老獪な宮廷魔法使い、目的のためには手段を選ばない |
| リヒター | 大地を操る魔法、分析能力 | 冷静で分析的、デンケンの右腕的存在 | |
| ラオフェン | (詳細不明) | デンケンを慕う若い魔法使い | |
| 第8パーティー | ヴィアベル | 見た者を拘束する魔法(ソロクアイ) | 北部魔法隊隊長、戦場のリアリスト |
| エーレ | 石を弾丸のように飛ばす魔法 | プライドの高い名家の魔法使い | |
| シャルフ | (詳細不明) | ヴィアベルの部下 | |
| その他合格者 | メトーデ | 拘束、幻惑、回復など多彩な魔法 | 穏やかで協調性が高いが謎も多い |
老獪さと熱情の共存:宮廷魔法使い「デンケン」の覚悟
今巻で登場した新キャラクターの中で、最も強烈な印象を残すのがデンケンでしょう。彼は権力闘争を勝ち抜いてきた宮廷魔法使いであり、冷静な判断力と老獪な戦略眼を兼ね備えています。しかし、その本質は「泥臭い」と評されるほどの熱い魂を持つ男です。
フリーレンとの戦いで魔力が尽きた際に見せた「殴り合い」という選択は、彼のキャラクターを完璧に表現しています。それは、地位や名誉、魔法使いとしての体面に固執せず、ただひたすらに勝利という結果を求める、彼の剥き出しの執念の現れです。
そして、その執念の根源にあるのが、驚くほど人間的で個人的な願い、「故郷にいる亡き妻の墓参りに行きたい」という目的です。彼が一級魔法使いを目指すのは、その故郷が現在、資格がなければ立ち入れない場所にあるからでした。この切ない動機が、彼の非情に見える行動の数々に深い人間味を与え、読者の共感を呼びます。デンケンは、フリーレンとは異なる形で「過去」と向き合おうとする、もう一人の主人公とも言える存在です。
予測不能な化学反応:フェルン、ユーベル、ラント
フェルンが組むことになった第4パーティーは、まさに「時限爆弾」のような集団です。
「視認できれば大抵のものは切れる」という恐るべき魔法を持つユーベルは、一見すると人懐っこい少女ですが、その行動原理は「共感」という独特の哲学に基づいています。彼女は善悪ではなく、自身が相手に共感できるか否かで行動を決め、平然と人を殺めることも厭いません。その常軌を逸した倫理観は、不気味さと同時に抗いがたい魅力を放っています。
一方のラントは、試験会場にいるのが精巧に作られた「分身」であり、本体は故郷の里から一歩も出ていないという、謎多き魔法使いです。人を徹底的に信用せず、常に合理性と効率を重視する彼の態度は、分身を操るという膨大な魔力を要する離れ業を可能にする、彼の底知れない実力を隠すための鎧のようにも見えます。
この二人の異分子に挟まれたフェルンの苦労は計り知れません。しかし、彼女は持ち前の冷静さと圧倒的な実力で、この破綻寸前のパーティーをまとめ上げ、見事に第一次試験を突破します。彼女がこの二人を「管理」してみせた手腕は、魔法の才能と同等、あるいはそれ以上に彼女の成長を物語っています。また、試験を通じてユーベルがラントに奇妙な興味を抱き始める様子は、今後の波乱を予感させる重要な伏線となっています。
戦場のリアリスト:北部魔法隊隊長「ヴィアベル」の流儀
デンケンが「個人の覚悟」を、ユーベルが「異端の哲学」を象徴するなら、北部魔法隊隊長ヴィアベルは「組織の論理」と「戦場の現実」を体現するキャラクターです。
彼の得意とする「見た者を拘束する魔法(ソロクアイ)」は、対人戦闘に特化した実戦的な魔法です。彼の言動はぶっきらぼうですが、それは魔族との熾烈な戦争が続く北部での経験に裏打ちされたものです。彼にとって、魔法使い同士の戦いや「必要な殺し」は、感傷を挟む余地のない任務の一部です。彼は決して冷酷なわけではなく、仲間思いな一面も見せますが、その根底には常に戦場のリアリズムがあります。彼の存在は、フリーレンたちの旅がいずれ直面するであろう、北側諸国の過酷な現実を読者に突きつけます。
師弟の成長と圧倒的実力:フリーレンとフェルン
この試験は、多くの新キャラクターを輝かせると同時に、主人公であるフリーレンとフェルンの実力を改めて浮き彫りにしました。
フリーレンの強さは、もはや「強い」という言葉では表現できない領域にあることが示されます。デンケンほどの熟練者ですら子供扱いし、湖を丸ごと凍らせるような規格外の魔法をこともなげに行使する姿は、まさに「生ける伝説」。彼女の力は、単なる魔力量や技術ではなく、千年という時間で培われた膨大な知識と、それを最適解で応用する創造性にあります。
そして、この試験はフェルンの「お披露目の場」でもありました。彼女がフリーレンの弟子というだけでなく、歴史に名を残すレベルの天才であることが明確に示されます。特に、基本である一般攻撃魔法を極めたことによる、他の追随を許さない魔法の発射速度と精度は、現代魔法の到達点の一つと言えるでしょう。
この二人の姿は、作中に流れる魔法の「世代」というテーマを浮かび上がらせます。神話の時代を生きる大陸魔法協会の創始者ゼーリエ、悠久の時を生きる自然の摂理のようなフリーレン、人間の限界まで経験を積み上げたデンケン、そして、一点突破の才能で未来を切り拓く若き天才フェルン。彼らが示す「強さ」は決して一様ではなく、それぞれの生きてきた時間そのものが魔法の質を規定しているのです。この多層的な強さの描き方が、『葬送のフリーレン』の魔法バトルに他にはない深みを与えています。
まとめ:次なる試練へ続く物語
『葬送のフリーレン』5巻は、物語に「一級魔法使い選抜試験」という新たな軸を導入することで、その世界を飛躍的に拡大させることに成功しました。静かな旅路から一転、多種多様な価値観を持つ魔法使いたちがぶつかり合う、緊張感あふれる群像劇へと進化を遂げたのです。
デンケン、ユーベル、ヴィアベルといった強烈な個性を持つライバルたちの登場は、フリーレンとフェルンに新たな刺激を与え、彼らの知られざる一面を引き出しました。そして、第一次試験の苛烈な戦いを通して、魔法とは何か、強さとは何か、という問いが、様々な角度から投げかけられました。
さらに、物語の最後には、フリーレンの師匠の師匠(大師匠)であり、大陸魔法協会を創始した伝説の魔法使い「ゼーリエ」の存在が示唆されます。フリーレンと彼女の間には、何か複雑な因縁がある様子。彼女の登場は、魔法の歴史そのものに関わる、より大きな物語の始まりを予感させます。
第一次試験を突破したのは、わずか18名。彼らを待ち受ける第二次試験、そして第三次試験は、さらに過酷で難解なものになることは間違いありません。多くの謎と伏線を残し、物語は次なるステージへと続きます。この波乱に満ちた試験の先に、フリーレンたちは何を見出すのでしょうか。今後の展開から目が離せません。






コメント