はじめに:「むっすー」に込められた多層的な感情 -フェルンの不機嫌が物語るもの-

『葬送のフリーレン』という作品において、魔法使いフェルンが見せる「むっすー」とした不機嫌な表情は、単なるコメディリリーフやキャラクターの癖として片付けられない、極めて重要な意味を持つ表現です。この表情は、ファンの間で親しまれ、公式グッズのデザインにも採用されるほど象徴的なものとなっています。しかしその根底には、彼女の複雑な内面と、仲間たちとの関係性の深化を映し出す鏡のような役割が存在します。
当記事では、フェルンが作中で見せる不満や怒りの表情を単行本の時系列に沿って網羅的に紹介し、それぞれの場面が持つ文脈と、その感情の裏に隠された心理を深く分析します。
フェルンの「むっすー」は、彼女の性格的特徴を雄弁に物語る非言語的コミュニケーションツールです。戦争孤児として育ち、死期の近い育ての親ハイターと共に過ごした過去は、彼女に早くから自立心と現実的な思考を植え付けました。その結果、彼女は同年代の少女に比べて極めて冷静で、物事に動じないしっかり者としての側面を持っています。この性格が、1000年以上を生きながら生活能力に乏しい師匠フリーレンと対峙した時、世話焼きな「お母さん」役としての不満や呆れという形で表出します。フリーレンに向けられる不機嫌は、しばしばこの「保護者の負担」に根差しており、師弟という立場が逆転したかのような奇妙で温かい関係性の証左となっています。
一方で、戦士シュタルクに向けられる不機嫌は、また異なる性質を帯びます。彼に対して見せるわがままや理不尽とも取れる態度は、心を許し、甘えている状態の裏返しです。普段は冷静さを保つ彼女が、シュタルクの前でだけ見せる子供っぽい一面は、彼を家族同然の存在として認識していることの何よりの証明と言えるでしょう。
このように、フェルンの「むっすー」は、対象となる相手や状況によってその意味合いを巧みに変化させます。それは時に呆れであり、時に心配であり、時に嫉妬であり、そして何よりも深い愛情と信頼の現れなのです。これから、その変遷を物語の進行と共に詳しく見ていきます。
フェルンの「むっすー」場面一覧(単行本準拠)

以下の表は、物語の進行順にフェルンが不機嫌な表情を見せた主要な場面をまとめたものです。詳細な分析は後続の章で行います。
| 単行本・話数 | 対象 | 不機嫌の原因(概要) | 特記事項 |
| 1巻・第2話 | フリーレン | 薬草を買いに行くと嘘をつき、実際は別の物を買っていたことを見抜く。 | 記念すべき最初の「むっすー」顔。フリーレンの浪費癖への不満の始まり。 |
| 1巻・第4話 | アイゼン | フランメの手記を探す時間はいくらでもある、という発言に対して。 | 人間とエルフ・ドワーフの時間感覚の差に対する苛立ちが表れる。 |
| 1巻・第6話 | フリーレン | フリーレンの生活の面倒を見ている状況を「完全にお母さんですよね」と自嘲する。 | フリーレンに「お母さん」と呼ばれ「誰がお母さんですか!」と怒る。関係性の定義。 |
| 2巻・第11話 | シュタルク | 服が透ける魔法を使った際、シュタルクを見て「ちっさ」と一言。 | シュタルクへの遠慮のない態度が初めて明確に示される。対等な仲間意識の芽生え。 |
| 3巻・第27話 | ザイン | ザインのギャンブル癖に対して。「ギャンブルをする人は嫌いです」と明言。 | 個人的な価値観に基づく明確な嫌悪感の表明。 |
| 4巻・第29話 | シュタルク | フェルンの誕生日を忘れ、プレゼントを用意していなかったことへの怒り。 | ザインが仲裁に入るほどの大喧嘩に発展。シュタルクとの関係性の大きな転換点。 |
| 4巻・第36話 | シュタルク | 風邪で寝込んでいる際に、冷たい手で不意に触られたことへの怒り。 | 遠慮のない間柄だからこその、反射的で素直な不快感の表出。 |
| 5巻・第46話 | シュタルク | 一級魔法使い試験中に、シュタルクが不摂生な生活をしていたことへの本気の怒り。 | 単なる不満ではなく、健康を本気で心配する保護者のような感情が見える。 |
| 5巻・第47話 | フリーレン | 買い出し当番を寝坊したフリーレンに激怒し、仲裁に入ったシュタルクにお菓子を要求。 | 不機嫌を拗らせ、他者に八つ当たりする子供のような一面を見せる。 |
| 6巻・第55話 | メトーデ | フリーレンに抱きつくメトーデを見て、嫉妬から不機嫌になる。 | 師弟関係を超えた、フリーレンへの強い独占欲と愛情が示される。 |
| 7巻・第60話 | フリーレン | 壊れた杖を買い替えるよう提案されたことへの怒り。 | 育ての親ハイターからの贈り物の価値を軽んじられたことへの、強い反発と悲しみ。 |
| 7巻・第61話 | フリーレン | 大陸魔法協会を出禁になったフリーレンに対して。 | 師匠の社会性のなさに呆れ、不満を隠せない表情。 |
第1章:旅の始まりと母性の芽生え -フリーレンへの不満-

旅の初期において、フェルンの不機嫌は主に師匠であるフリーレンに向けられます。これは、彼女がフリーレンの「保護者」としての役割を担わざるを得ない状況から生じる、ある種の母性的な感情の発露でした。
1.1. 嘘と浪費への不満(1巻・第2話)

フリーレンとフェルンの二人旅が始まって間もない頃、物語における最初の「むっすー」顔が登場します。交易都市ヴァルムで、フリーレンは薬草を買いに行くと告げて出かけますが、フェルンはその様子を怪しみ、後をつけます。案の定、フリーレンが手に入れたのは薬草ではなく、「くだらない魔法」の魔導書でした。それを見抜いたフェルンは、頬を膨らませて無言の抗議を示します。
この場面で重要なのは、フェルンが怒っている対象が「嘘」そのものよりも、「実用性のないものへの浪費」である点です。フリーレンは趣味として、戦闘や生活の役には立たない魔法の収集を好みますが、これは現実的で倹約家なフェルンの価値観とは正反対です。ハイターのもとで、限られた時間と資源の中で生きる術を学んだ彼女にとって、フリーレンの行動は理解しがたい非効率なものに映ります。この最初の「むっすー」は、以降の旅で何度も繰り返される、二人の金銭感覚と価値観の対立の幕開けを告げる象徴的なシーンなのです。
1.2. 「誰がお母さんですか!」(1巻・第6話)
フリーレン一行がとある村で新年祭を迎えた際、二人の関係性を決定づけるやり取りが描かれます。朝に弱いフリーレンを毎朝起こし、食事を与え、身支度を整えさせるという一連の世話をしながら、フェルンは「これ私、完全にお母さんですよね」と自嘲気味に呟きます。その後、寝ぼけたフリーレンが「…お母さん…」と寝言を言うと、フェルンは「誰がお母さんですか!!」と声を荒らげて怒ります。
この怒りは、単なる反発ではありません。それは、自分が図らずも担ってしまっている役割を的確に指摘されたことへの苛立ちと、年若い自分が年長者であるはずの師匠の面倒を見ているという倒錯した状況への複雑な感情の表れです。フリーレンの1000年を超える年齢と、その実生活における未熟さとのギャップは、本作の根幹をなすテーマの一つです。この場面は、10代の少女であるフェルンが精神的な「大人」として、悠久の時を生きる「子供」のような師匠を支えるという、彼らの基本的な力学を明確に定義しています。
1.3. 時間感覚のズレへの苛立ち(1巻・第4話)

フリーレンとフェルンがアイゼンを訪ね、大魔法使いフランメの手記を探す旅に出た際、より根源的な不満が顔を覗かせます。アイゼンが「時間はいくらでもある」とこともなげに言ったのに対し、フェルンは不満そうな表情を浮かべるのです。
これは非常に繊細ながら、重要な「むっすー」です。エルフであるフリーレンやドワーフであるアイゼンにとって、数年や数十年という時間は比較的短いものです。しかし、人間のフェルンにとっては、それは人生の貴重で大きな一部を占めます。彼女の不機嫌は、彼らが共有する長命種の時間感覚と、自らが生きる有限な時間との間に横たわる、埋めがたい溝に対する無意識の苛立ちなのです。この感情は、フリーレンがヒンメルの死をきっかけに「人間を知る」旅に出た理由そのものであり、フェルンとの旅を通じてフリーレンが学んでいくべき最大の課題を象徴しています。
これらの初期の不満の根底には、フリーレンの感情的な鈍感さに対する、フェルンの無意識的な自己防衛の側面も見られます。当初のフリーレンは他者の感情に極めて疎く、悪気なく相手を傷つけることがあります。フェルンが不機嫌を「むっすー」という目に見える形で示すことは、「私は今、不満です」という感情状態を明確に伝えるためのシグナルとして機能します。もし彼女が常に冷静で物静かなままでいれば、彼女の感情や要求はフリーレンに認識すらされないかもしれません。事実、フェルンが不機嫌になった結果、フリーレンが彼女の誕生日を祝うためにプレゼントを探すなど、フリーレンの行動を促すきっかけにもなっています。この意味で、彼女の不機嫌は、感情的に未発達な師匠を「教育」し、健全な関係を築くための重要な手段となっているのです。
第2章:新たな仲間と生まれる摩擦 -シュタルクへの不満-
戦士シュタルクの加入は、フェルンの感情表現に新たな次元をもたらします。フリーレンに対する「保護者」としての不満とは異なり、シュタルクに対しては、より対等な仲間、あるいは異性として意識した上での、複雑で親密な感情が「むっすー」という形で現れるようになります。
2.1. 「ちっさ」事件(2巻・第11話)
シュタルクが紅鏡竜を討伐した後、フリーレンは報酬として「服が透けて見える魔法」の魔導書を手に入れます。早速その魔法を使ったフェルンは、フリーレンの体を見て「あまり面白い魔法ではありませんね」と冷静に評した後、ふとシュタルクに視線を移し、軽蔑するような目で見下しながら「ちっさ」と一言だけ呟きます。これにシュタルクは「ちっさくねーよ!!」と激しく反発し、彼らの関係性を象徴する最初のコミカルな衝突が生まれます。
この「ちっさ」という発言は、極めて重要な意味を持ちます。それは意地悪で、からかいを含んだ、全く遠慮のない言葉です。育ての親であるハイターや師匠のフリーレン、あるいは見知らぬ他人に対して、彼女がこのような無礼な態度を取ることは決してありません。この辛辣さはシュタルクだけに向けられたものであり、彼をすでに気兼ねなく接することのできる対等な仲間として認識している証拠です。それは、フリーレンとの師弟関係とは全く異なる、新しい種類の関係性が生まれつつあることを示す最初の兆候でした。
2.2. 誕生日の大喧嘩(4巻・第29話)

一行がラート地方を訪れた際、フェルンの18歳の誕生日をシュタルクが忘れ、何も用意していなかったことが発覚します。これにフェルンは激怒し、二人は口も利かないほどの険悪な状態に陥ります。この深刻な事態を見かねた僧侶ザインが仲裁に入り、彼の助言もあってシュタルクはフェルンに「鏡蓮華」の意匠が施されたブレスレットを贈ることで、二人は和解します。
これは、彼らの関係における最初の大きな転機です。フェルンの怒りは、プレゼントがもらえなかったという物欲から来るものではありません。それは、親しい間柄になったと思っていた相手から、自分の大切な日を忘れられ、軽んじられたと感じた悲しみと失望から来ています。これは、相手が自分のことを気遣い、大切にしてくれるはずだという期待、すなわち「甘え」の一形態です。そして、この衝突が意味のある贈り物を介して解決されることで、彼らの絆はより一層深まります。この「衝突と和解」のサイクルは、以降の二人の関係性を発展させるための基本的なパターンとして確立されていきます。
2.3. 冷たい手と突然の怒り(4巻・第36話)
旅の途中でフェルンが風邪をひいて寝込んだ際、シュタルクが彼女を気遣って様子を見に来ます。しかし、彼は冷たい手で不用意にフェルンの額に触れてしまい、その冷たさに驚いたフェルンは「むっすー」と怒りを露わにします。アニメ版では、この場面でシュタルクがフェルンをお姫様抱っこで運ぶという描写に変更され、二人の関係性をより強調する演出がなされています。
些細な出来事ですが、これもまた二人の関係性を物語る重要な場面です。この怒りは、物理的な不快感に対する反射的で素直な反応です。ここには、彼らの間に物理的・心理的な隔たりがほとんど存在しない、極めて高い親密度が示されています。彼女の反応は即時的で、何のフィルターもかかっていません。これは、シュタルクやフリーレンといった心を許した相手以外には見せない、素の感情の表出です。
シュタルクとの関係において、フェルンの不機嫌は単なるキャラクターの性格付けに留まらず、物語を動かすための重要なエンジンとして機能しています。シュタルクの無神経な行動、それに続くフェルンの怒り、そして第三者の介在やシュタルクの謝罪による和解という一連の流れは、二人の関係を着実に前進させるための意図的な物語構造です。彼女の「むっすー」は、二人の間のゆっくりとしたロマンスを、明確な告白の言葉なしに進展させていくための、不可欠な起爆剤となっているのです。
第3章:深まる絆と複雑化する感情 -一行への多角的な不満-
物語が進行するにつれて、フェルンの不機嫌はより複雑で多角的な様相を呈してきます。それは単なる世話焼きの延長や仲間との衝突に留まらず、彼女自身の価値観の表明、深い愛情からくる心配、そして師への嫉妬といった、より成熟した感情を反映するものへと変化していきます。
3.1. ギャンブルへの嫌悪(3巻・第27話)

新たに仲間となった僧侶ザインが、根っからのギャンブル好きであることが判明した際、フェルンは冷たい視線で彼を一瞥し、「ギャンブルをする人は嫌いです。最低です」と明確な嫌悪感を示します。
ここでの不機嫌は、フリーレンやシュタルクに対する親密さに根差したものとは一線を画します。これは、彼女の個人的な価値観に基づいた、道徳的な判断から来る怒りです。戦災孤児として育ち、常に堅実さと安定を求めて生きてきた彼女にとって、不確実なものに身を委ねるギャンブルという行為は、到底受け入れがたいものなのでしょう。この場面は、彼女が自身の信条をはっきりと主張する、自立した個人としての一面を強く印象付けます。
3.2. 不摂生への本気の怒り(5巻・第46話)

一級魔法使い試験の第一次試験後、フェルンはシュタルクが宿で夜更かしをしてジュースを飲み、昼過ぎまで寝ているという不摂生な生活を送っていたことを知ります。これに対しフェルンは本気で怒り、「ぷんすかっ」という擬音と共に、膨れっ面でシュタルクの体をポカポカと叩きながら説教をします。
この怒りは、これまでの不満とは質が異なります。それは、彼の自堕落な生活態度が将来に与える影響を本気で心配する、深い愛情から来るものです。その姿は、もはや単なる仲間ではなく、パートナーや家族の健康を案ずるそれに近いと言えます。体を叩くという行為自体は子供っぽいものの、その根底にある感情は極めて成熟した「気遣い」です。この場面は、彼女の「母性的な側面」とシュタルクへの「恋愛に近い親愛の情」が美しく融合した、二人の関係の深化を示す重要なマイルストーンです。
3.3. 師への嫉妬(6巻・第55話)

第二次試験の迷宮(ダンジョン)攻略中、魔法使いメトーデが拘束魔法の有効性を確かめるためにフリーレンに抱きついた際、フェルンはあからさまな嫉妬心を燃やします。その不機嫌さは後ろ姿からでも見て取れるほどで、彼女は無言でフリーレンをメトーデから引き離し、その後も「むっすー」とした表情を崩しませんでした。
これは、フェルンの感情に「独占欲」という新たな側面が加わったことを示す画期的な場面です。彼女にとってフリーレンは、単なる師匠や旅の仲間ではなく、育ての親ハイター亡き後の、最も重要な家族であり、精神的な支柱です。メトーデの行動は、その特別な関係性を脅かす「侵入者」のように映ったのでしょう。ここでの「むっすー」は、フリーレンに対する彼女の深い愛着と、母親代わりのような存在を奪われかねないという不安から来る、明確な縄張り意識の表れなのです。
3.4. 壊れた杖と意地(7巻・第60話)
第二次試験でフェルンの杖は複製体との戦闘で破壊されてしまいます。試験後、フリーレンが実用的な観点から「新しいものに替えた方がいい」と提案したところ、フェルンはこれまでにないほどの強い怒りを見せ、その感情を抑えるかのように串焼きをやけ食いします。
この怒りの源は、彼女の最も深い部分に触れるものです。その杖は、今は亡き育ての親、ハイターから一人前の魔法使いになった証として贈られた、かけがえのない形見でした。フリーレンの悪気のない、しかしあまりに無神経な提案は、その杖に込められた思い出と感傷的な価値を完全に無視するものでした。フェルンの怒りは、自身の過去とハイターとの絆を、たとえ師匠であっても軽んじることは許さないという、強い自己主張の表れです。実用性ではなく、感情的な価値を巡って師匠に真っ向から反発するこの姿は、彼女が他者に依存するだけでなく、自らの大切なものを守るために戦えるまでに成長したことを示しています。
これらの出来事を通して、フェルンの「むっすー」という表情の裏にある心理的安全性が浮き彫りになります。普段は冷静沈着な彼女が、なぜこれほど感情的な振る舞いを見せるのか。それは、フリーレンとシュタルクが、彼女がどれだけ不機嫌になろうとも、わがままを言おうとも、決して自分を見捨てたり、傷つけたりしないという絶対的な信頼があるからです。彼女の不機嫌は、逆説的に、彼女がこの一行の中に真の「居場所」と「家族」を見出していることの最も強力な証拠なのです。
まとめ:不機嫌という名の愛情表現 -フェルンの成長と人間関係の深化-

『葬送のフリーレン』の物語を通じて、フェルンの「むっすー」という表情は、その意味合いを豊かに変化させながら、彼女の成長と人間関係の深化を映し出してきました。
旅の始まりにおいて、彼女の不機嫌は主に師匠フリーレンの生活能力の欠如と価値観の相違に向けられた、一種の「保護者としての呆れ」でした。それは、早くに大人にならざるを得なかった少女が、年長でありながら子供のような師匠の面倒を見るという、倒錯した関係性から生まれる自然な感情でした。
しかし、シュタルクという対等な仲間を得たことで、彼女の不機嫌は新たな局面を迎えます。彼に向けられる怒りや拗ねた態度は、遠慮のない親密さと、相手に気にかけてほしいという「甘え」の現れであり、二人の関係性を発展させるための重要な触媒として機能しました。衝突と和解を繰り返す中で、彼らの絆は着実に深まっていきました。
そして物語が進むにつれて、彼女の不機嫌はさらに複雑化・成熟化します。それは、自らの信条を守るための断固たる態度の表明であり、仲間の健康を本気で案ずる深い懸念であり、そして大切な師匠を奪われかねないという嫉妬心の発露でもありました。特に、育ての親の形見である杖を巡るエピソードでは、彼女が自らの感情的な価値を何よりも優先し、それを守るために師匠にさえ立ち向かう精神的な強さを見せました。
結論として、フェルンの「むっすー」は、彼女なりの愛情表現の言語であると言えます。それは、彼女が仲間をどれだけ深く信頼し、大切に思っているかを測るバロメーターです。彼女が不機嫌になるのは、相手に無関心だからではなく、むしろその逆で、相手との関係性をより良いものにしたい、自分の大切なものを理解してほしいという強い願いがあるからです。この一見ネガティブに見える感情の摩擦こそが、フリーレン一行の絆を試し、鍛え、そして何物にも代えがたい強固なものへと変えていく原動力なのです。フェルンの不機嫌は、関係性の綻びの兆候ではなく、関係性が築かれ、維持されていく、まさにその過程そのものを描き出しているのです。



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