- はじめに:ヒンメルたちが生きた痕跡、「記憶」を辿る旅
- 第1章:【王都】仲間との別れと「後悔」の涙(ビフォー:50年後の再会/アフター:ヒンメルの葬儀)
- 第2章:【各地の銅像】虚栄心から「孤独」を救う道標へ(ビフォー:悪趣味な像/アフター:記憶の拠り所)
- 第3章:【剣の里】偽物の勇者から「本物の勇者」へ(ビフォー:抜けなかった勇者の剣/アフター:真実の継承)
- 第4章:【トーア大渓谷】200年の想いを繋ぐ勇者とドワーフの約束(ビフォー:後悔と贖罪の時間/アフター:「未来の誰か」のために投資)
- 第5章:【勇者の冒険譚】「くだらない冒険」が変えた世界(ビフォー:ただの地味な「人助け」/アフター:「世界を救う」ことの本当の意味)
- まとめ:ヒンメルの記憶と共に、未来を歩むということ
はじめに:ヒンメルたちが生きた痕跡、「記憶」を辿る旅
『葬送のフリーレン』は、他の多くのファンタジー作品とは一線を画す、独特の時間軸と死生観を持つ物語です。
一般的な物語が「魔王討伐」をクライマックスとするならば、この作品は魔王討伐後の「アフター」の世界を、1000年以上の時を生きるエルフの魔法使い・フリーレンの視点から淡々と、しかし克明に描き出します。
そして、この物語の真の「始まり」は、魔王討伐から50年後、かつての仲間であった「勇者ヒンメルの死」に他なりません。
エルフであるフリーレンにとって、人間との時間感覚は絶対的に異なります。
魔王討伐までの10年間の冒険すら、彼女の長い人生においては瞬きのようなもの。それゆえに、彼女は仲間たちのことを深く「知ろう」とはしてきませんでした。
しかし、ヒンメルの葬儀で、フリーレンは生涯で初めてと言えるほどの強烈な感情に襲われます。
それは「人間の寿命は短いってわかっていたのに、なんでもっと知ろうと思わなかったんだろう」という、取り返しのつかない「後悔」の涙でした。
ヒンメルの死は「終わり」ではなく、フリーレンが彼という人間、そして「人間」そのものを解き明かすための、第二の旅の「始まり」となったのです。
彼女は、ヒンメルたちが生きた痕跡、すなわち「記憶」を辿る旅に出ます。
本記事では、このヒンメルの【没前】(勇者一行の冒険時)と【没後】(フリーレンの第二の旅)において、その様相が決定的に変化した5つの象徴的な場所やシーンに焦点を当てます。
時の流れがもたらした繁栄、衰退、そして「忘却」を前に、フリーレンが何を感じ、ヒンメルから何を受け継いだのかを徹底的に分析・紹介します。
第1章:【王都】仲間との別れと「後悔」の涙(ビフォー:50年後の再会/アフター:ヒンメルの葬儀)
『葬送のフリーレン』という壮大な物語の序章であり、フリーレンの価値観を根底から覆した原点のシーンが、この「王都」で描かれた二つの出来事です。
該当シーン: 原作コミック1巻第1話/アニメ第1話「冒険の終わり」
ビフォー:50年ぶりの再会と「エーラ流星群」

魔王討伐から50年。勇者一行は、「50年後に皆でエーラ流星群を見る」という約束を果たすため、王都で再会します。
僧侶ハイター、戦士アイゼン、そして勇者ヒンメル。かつての仲間たちはすっかり年老いていましたが、フリーレンだけは50年前と変わらぬ姿でした。
フリーレンにとって50年という歳月は「ほんの少し」でしかなく、仲間たちの変わりように内心驚きつつも、その「老い」や「寿命」が持つ本当の意味を、彼女はまだ理解していません。
彼女にとって、この王都で見る流星群は「50年前に見たもの」の繰り返しであり、仲間たちとの時間も「またいつでも会える」ものと無邪気に認識していました。
この時点でのフリーレンは、まだ人間の時間感覚の外側にいたのです。
アフター:ヒンメルの葬儀と「取り返せない時間」

流星群を見た直後、勇者ヒンメルは静かに天寿を全うします。王都は、かつての凱旋パレードを彷彿とさせる、あるいはそれ以上に盛大な葬儀を執り行います。
ほんの数日前まで「祝祭(流星群)」の場であった王都は、「葬送」の場へと一変しました。この瞬間こそ、フリーレンにとって、ヒンメルという存在が「いる世界」から「永遠にいない世界」へと決定的に変わった「断絶」の瞬間です。
葬儀の最中、多くの人々がヒンメルの死を悼み涙を流す中で、フリーレンは涙を流せません。
「ヒンメルのこと、なんとも思ってなかったのかな」と、自らの感情の欠如に戸惑いすら覚えます。
しかし、ヒンメルの棺(ひつぎ)に触れ、彼が自分(フリーレン)をどう思っていたか、仲間たちがどれほど彼を想っていたかを突きつけられた瞬間、彼女の目から涙が溢れ出しました。
フリーレンの心情:初めて知る「後悔」という感情

この涙は、単なる悲しみではありません。
「なんでもっと知ろうと思わなかったんだろう」という、取り返しのつかない「後悔」の表れです。
ヒンメル存命時、フリーレンにとって冒険した「10年」は、自身の1000年を超える人生の「100分の1」に過ぎない些末(さまつ)な時間でした。
しかし、ヒンメルの死は、その「10年」が、ヒンメルの短い人生においては「7分の1」や「8分の1」といった、非常に大きな比重を占める「かけがえのない時間」であったという事実を、残酷なまでに突きつけました。
王都での「ビフォー(再会)」と「アフター(葬儀)」は、フリーレンが「エルフの時間感覚」から「人間の時間感覚」へと、その価値観を強制的にシフトさせられた場所です。
ここで流した後悔の涙こそが、彼女を「人間を知るための旅」へと駆り立てる、唯一にして最大の原動力となったのです。
第2章:【各地の銅像】虚栄心から「孤独」を救う道標へ(ビフォー:悪趣味な像/アフター:記憶の拠り所)
フリーレンの第二の旅において、ヒンメルの存在を最も雄弁に物語るのが、大陸の各地に建てられた勇者一行の「銅像」です。
この銅像の意味合いこそ、ヒンメルの死の前後で最も劇的な変化を遂げたものの一つと言えます。
該当シーン: 物語の全編にわたり登場(原作1巻第1話、アニメ第1話など)
ビフォー:ヒンメルの「ナルシシズム」と悪趣味なポーズ

勇者ヒンメルは、魔王を倒した偉大な勇者であると同時に、自称イケメンのナルシストでもありました。
彼は冒険の道中、訪れた街や村で依頼を解決するたびに、半ば強引に自分(と一行)の銅像を建てることを要求しました。
当然、そのポーズは「僕のイケメンぶりを後世に残す」という彼自身の言葉通りのキザなもの。当時のフリーレンは、これを「悪趣味」「恥ずかしい」と一蹴し、ハイターやアイゼンと共に呆れ返っていました。
フリーレンにとって、これらの銅像はヒンメルの「虚栄心」の象徴でしかありませんでした。
アフター:「ひとりぼっち」にさせないための道標

ヒンメルの死から80年以上が経過した世界。フリーレンは、弟子のフェルン、戦士シュタルクとの新たな旅で、各地に残された銅像と再会します。
人々から忘れ去られ、苔(こけ)むしてしまった像。あるいは、今もなお街のシンボルとして大切に手入れされ、花が手向けられている像。その扱いは様々です。
しかし、フリーレンにとって、これらの銅像が持つ意味は80年前とはまったく異なっていました。
かつてはヒンメルの「虚栄心」の象徴でしかなかった石像が、80年の時を経て、フリーレンにとって「ヒンメルが確かにそこにいた証」であり、過去の記憶を鮮明に呼び覚ます「トリガー」へとその意味を変えていたのです。
フリーレンの心情:80年越しに受け取る「優しさ」
フリーレンは、旅の途中で、かつてアイゼンが語った言葉を回想します。
ヒンメルがなぜ、あれほどまでに銅像を建てることにこだわったのか。
その本当の理由は、「未来でフリーレンがひとりぼっちにならないようにするため」でした。
仲間たちが全員いなくなった遥かな未来。あまりにも長い時を生きるエルフであるフリーレンが、いつか道に迷った時、これらの銅像が彼女を導く「道しるべ」となるように。そして、銅像を見るたびに「くだらないけど楽しい旅だった」と、温かい記憶を思い出せるように。
ヒンメルは、「生きているということは誰かに知ってもらって覚えていてもらうことだ」と語っていました。
彼は、時間の流れの中で「絶対的な断絶」を生きるフリーレンが、未来で必ず「孤独」になることを見抜いていたのです。
彼のナルシシズムは、彼の底知れない優しさと表裏一体でした。
銅像は、物理的な「記憶の外部装置」です。たとえフリーレン自身が忘れてしまっても、銅像という「モノ」がヒンメルの存在を証明し続けます。
フリーレンは、汚れた銅像を見つけると、魔法で綺麗に磨き上げます。それは単なる清掃ではなく、80年越しにヒンメルの真意を受け取り、彼との対話を行う、フリーレンにとっての何より大切な儀式となっているのです。
第3章:【剣の里】偽物の勇者から「本物の勇者」へ(ビフォー:抜けなかった勇者の剣/アフター:真実の継承)
ヒンメルの死後、フリーレンはしばしば「ヒンメルならどうしたか」を考え、行動の指針としています。
そのヒンメルの「美学」や「哲学」が凝縮されたエピソードが、この「剣の里」での出来事です。
該当シーン: 原作3巻第25話
ビフォー:「お墨付き」を得られなかった勇者

今から80年前、勇者一行は冒険の途中、「剣の里」を訪れます。
そこには、「世界を滅ぼす災いを撃ち払う者」しか抜けないとされる伝説の「勇者の剣」が安置されていました。
自他ともに認める勇者であるヒンメルは、当然のように自信満々で剣に手をかけます。
しかし、剣は抜けません。
この瞬間、ヒンメルは伝説が認める「本物の勇者」ではなく、単なる「偽物の勇者」であることが証明されてしまいました。
ヒンメルは、決して「勇者であること」をどうでもいいとは思っていませんでした。だからこそ、彼は一瞬、本気で落胆します。周囲の仲間や里の住民も、期待が大きかったぶん、深く失望します。
しかし、ヒンメルは即座に立ち直りました。
彼は「落胆する周囲の人」をもその言葉で引っ張り上げ、「魔王を倒せば偽物(の僕)も本物(の勇者)になる」と、笑顔で宣言します。
フリーレンは、その一連の姿――落胆と、そこからのあまりにも早い再起――を、ただ黙って見つめていました。
アフター:80年後に明かされた「歴史」
ヒンメルの死から80年後。フリーレン一行は、「里の周辺の魔物を退治する」という、かつてヒンメルが里と交わした約束を果たすため、剣の里を再訪します。
魔物退治の後に、シュタルクとフェルンが目にしたのは、抜かれずに刺さったままの「勇者の剣」でした。
フリーレンはヒンメルが勇者の剣を抜くことが出来なかったことを二人に告げると、さらに付け加えてこう言いました。
「英雄というのはどうしても後世の連中が勝手に美化していく。そしてそのうち原型すら無くなってしまうんだ。」
ヒンメルが剣を抜けなかった事実を隠したのは、ヒンメルを英雄にしたかった周囲の連中であり、それが里の長の代が変わるごとに受け継がれていたのでした。
フリーレンの心情:「歴史」を修正する「証人」として

そうした世間の言い伝えと反する事実に対し、フリーレンは静かに、しかし明確にシュタルクとフェルンに、80年前の真実を伝えます。
「あんな剣は無くたって世界を救ってみせた。本物の勇者だよ」と。
フリーレンは、ヒンメルが剣を抜けなかったという「結果」をどうでもいいとは思っていませんでした。しかし、彼女が(そしてヒンメル自身が)何よりも重要視していたのは、「お墨付き」の有無ではありません。
それは、誰もが認める「失敗」をしても、自分への落胆から即座に立ち直り、「やるべきこと(=魔王討伐)」を一切疑わなかった彼の不屈の姿でした。それこそが『勇者』という呼び名にふさわしい姿だと、フリーレンは理解していたのです。
一般的に「歴史」とは、結果を残した勝者によって作られる「お墨付き」の物語です。剣の里の伝承(抜けなかった=偽物)もその一つでした。
80年後、勇者の剣を抜けなかった「失敗」という結果は剣の里の民によって隠され、ヒンメルの偉大さだけが言い伝えとして残されたのです。
ここでフリーレンは、単なる旅人から「歴史の証人」へとその役割を変えます。
彼女は「ビフォー」の真実を知る唯一の生き証人として、「アフター」の世界に「本物のヒンメル」の記憶を上書きします。
ヒンメルが守った世界で、今度はフリーレンがヒンメルの「名誉」と「哲学」を守っているのです。
第4章:【トーア大渓谷】200年の想いを繋ぐ勇者とドワーフの約束(ビフォー:後悔と贖罪の時間/アフター:「未来の誰か」のために投資)
彼がふとした瞬間に見せる、底なしの優しさと未来を見据えた眼差しに、心を掴まれた方も多いのではないでしょうか?
原作の「トーア大渓谷」は、地味ながらもヒンメルの「深すぎる愛情」が詰まっていて、涙なしには読めない名エピソードです。
該当シーン: 原作第79話「トーア大渓谷」
ビフォー:200年にも続く後悔と贖罪の日々と頓挫する橋の建設

舞台は北部高原にある「トーア大渓谷」。 深さなんと3000メートル!向こう側に渡るために迂回しようとすると二週間もかかってしまうという、とんでもない難所です 。
フリーレンたちがここを訪れたとき、一人の年老いたドワーフ、石工のゲーエンと再会します。彼はなんと200年も前から、たった一人でこの谷に橋を架け続けていたんです。
なぜ、そこまでして橋を作るのか? そこには、ゲーエンの悲しい「後悔」がありました。 かつて、この谷の近くにあった彼の村が魔物に襲われたとき、対岸の都市には助けてくれる軍隊がいました。でも、橋がなかったために救援が間に合わず、村は滅んでしまったのです 。
「橋があったら、みんな助かったんだ」
そう語るゲーエンの言葉は、あまりにも重いですよね。彼の200年は、亡くなった家族や仲間への贖罪の時間だったのかもしれません。
アフター:ゲーエンの「闇」を照らすヒンメルの「光の贈り物」

そんなゲーエンと、かつての勇者一行が出会ったのは80年前のこと。 当時、資金が底をつきかけていたゲーエンに対し、ヒンメルは驚くべき行動に出ます。なんと、橋の建設費用をポンと出資したのです!
普通なら「すごい太っ腹!」で終わる話ですが、ヒンメルの凄いところはここからです。 ゲーエンが「これだけのお金に見合うお返しなんてできない」と恐縮すると、ヒンメルは爽やかにこう言いました。
「報酬は橋でいい」 「自分が生きてる間に完成しなくても、フリーレンが受け取る」
……みなさん、このセリフの尊さ、伝わりますか!?
ヒンメルは人間ですから、自分が生きているうちにこの巨大な橋が完成しないかもしれないと分かっていました。
それでも彼は、「未来の誰か」のために投資をしたんです。
そして何より、その「未来の誰か」として、フリーレンの名前を挙げたこと。
彼は確信していたんです。自分が死んだ後の世界でも、フリーレンは旅を続けていて、いつかまたこの場所に来るはずだと。
「その時、この橋が彼女の役に立てばいい」 まるで数十年越しのプレゼントを予約するかのように、ヒンメルは橋に想いを託したのです。
これこそ、究極の「時を超えた贈り物」ではないでしょうか。
フリーレンの心情:時を超えて受け取った「バトン」
そして現代。
ヒンメルの予言通り、フリーレンは新しい仲間であるフェルンやシュタルクと共にこの地を訪れました。
橋は完成していましたが、近くに巨大な鳥の魔物が巣を作ってしまい、強風で渡れなくなっていました 。
ここでフリーレンが取った行動もまた、素敵なんです。
ゲーエンから「鳥の巣をなんとかしてくれ」と頼まれたフリーレンは、報酬が「パンケーキを上手にひっくり返す魔法」という、一見くだらないものであったにも関わらず、二つ返事で引き受けます 。
昔のフリーレンなら「面倒くさい」と言っていたかもしれません。 でも、今の彼女には分かっているんです。この橋が、ヒンメルが自分のために、そして人々のために遺してくれたものだということが。
魔物を追い払い、無事に橋が開通したとき、ゲーエンの200年の後悔は報われ、ヒンメルの投資は結実しました。
パンケーキの魔法を嬉しそうに受け取るフリーレンの姿は、まるで「ヒンメル、ちゃんと受け取ったよ」と空に語りかけているようで、とても温かい気持ちになりますね。
第5章:【勇者の冒険譚】「くだらない冒険」が変えた世界(ビフォー:ただの地味な「人助け」/アフター:「世界を救う」ことの本当の意味)
次にご紹介するのは、一級魔法使い選抜試験編に登場するヴィアベルのエピソードです。 目つきが悪くて好戦的なヴィアベルですが、彼もまた、ヒンメルに人生を変えられた一人でした。
該当シーン: 原作第59話「小さな人助け」
ビフォー:英雄の物語じゃない、ただの「人助け」

ヴィアベルは幼い頃、自分の村に勇者ヒンメルが来たときのことをフリーレンに語ります。 でも、彼が覚えているのは、魔王と戦う華々しい英雄の姿ではありませんでした。
ヒンメルが彼の村でしたことといえば、魔物を退治したり、商人の護衛をしたり、荷物運びをしたり……。
当時のヴィアベル少年からすれば、「勇者なのに、なんでそんな地味なことばかりしてるんだ?」と不思議で仕方なかったでしょう。
村の老人たちがそんな「くだらない話」を嬉しそうに語る理由も、理解できませんでした。
私たちもRPGなどのゲームをするとき、つい「世界の危機」とか「ラスボス」ばかりに目が行きがちですよね。サブクエストや村人の小さなお願いは「面倒だな」なんて思ってしまうこともあります。
アフター:ヒンメルが実現した「世界を救う」ことの本当の意味

しかし、大人になり、最前線で魔族と戦うようになったヴィアベルは気づきます。
「きっと勇者ヒンメルが俺の村に来なかったら、世界が平和になってもそこに俺の村は無かったんだろうな」
この言葉、ハッとさせられませんか?
遠い魔王城で魔王が倒されたとしても、目の前の森にいる魔物に襲われてしまったら、村の人々にとってはそれが「世界の終わり」なんです。
ヒンメルは、世界の平和という大きな目標を掲げながらも、目の前にいる一人ひとりの「今日」を守ることを決して疎かにはしませんでした。
「くだらない冒険譚」 とヴィアベルが呼ぶそれらのエピソードは、実は「誰かの命と生活を守った証」だったのです。
ヒンメルにとっての英雄活動とは、魔王を倒すことだけでなく、出会った人たち全員に「明日も生きていていいんだよ」と背中を押してあげることだったのかもしれません。
フリーレン・ヴィアベルの心情:「くだらない冒険譚」が変えた世界
今、ヴィアベルは北部魔法隊の隊長として、多くの部下を率いて人々を守っています。 彼の行動原理の根底にあるのは、間違いなく**「勇者ヒンメルのくだらない冒険譚」**です 。
「目の前の人を救う」「仲間を見捨てない」 そんなヒンメルの当たり前の優しさが、ヴィアベルという新しい世代の英雄を生み出し、さらにそのヴィアベルが守った人々がまた次の未来を作っていく。
ヒンメルが蒔いた「優しさの種」は、彼の死後もこうして芽吹き、世界中に広がっているんですね。
ヒンメルは生前、フリーレンにこう語っていました。
「きっとこんなことをしたって世界は変わらない。でも僕は目の前で困っている人を見捨てるつもりはないよ。」
ヴィアベルの話を聞いたフリーレンは、そんなヒンメルの言葉を思い出し、そして呟きます。
「大丈夫だよヒンメル。世界はちゃんと変わっている」
彼は魔王を倒すという偉業を成し遂げましたが、彼自身が一番大切にしていたのは、もっとささやかなことでした。
誰かの荷物を持ってあげること、誰かのために橋を架けるお金を出すこと、誰かの頭を撫でてあげること。
そんな「ほんの少し」の積み重ねが、ヴィアベルを導き、そして今、フリーレンの心を変えています。
まとめ:ヒンメルの記憶と共に、未来を歩むということ
本記事で紹介した5つのシーンは、1000年を生きるエルフ・フリーレンが、勇者ヒンメルの死をどう受け止め、どう変容していったかを示す、重要なマイルストーンです。
- 【王都】 では、「後悔」の涙と共に、彼女の「人間を知る旅」が始まりました。
- 【各地の銅像】 では、80年越しにヒンメルの「優しさ」を理解し、孤独から救われました。
- 【剣の里】 では、忘れ去られようとしていたヒンメルの「哲学」を守る「歴史の証人」となりました。
- 【トーア大渓谷の橋】 では、ヒンメルの「未来の誰か」へ贈る「温かい希望と投資」という時を超えたバトンを受け取りました。
- 【ヴィアベルとの会話】 では、ヒンメルの「小さな人助け」が「優しさの種」となり、その遺志を人々に芽吹かせていることを実感しました。
ヒンメルの死は、物理的な「終わり」でした。
しかし、フリーレンにとっては、彼という人間を真に知るための「始まり」でした。
ヒンメルは生前、「生きているということは誰かに知ってもらって覚えていてもらうことだ」と語りました。その言葉通り、彼はフリーレンの記憶の中で、かつてないほど鮮明に「生き続けて」います。
『葬送のフリーレン』の旅は、単なる過去への感傷(ノスタルジー)に浸るものではありません。
それは、ヒンメルが残した「思い出」や「哲学」という種を、フェルンやシュタルクといった新しい仲間と共に、未来へ向かって育てていくための巡礼です。
フリーレンは、ヒンメルの死を無理に乗り越えるのではなく、彼の記憶と共に、彼が生きた証と共に、未来を歩むことを選びました。その歩みこそが、『葬送のフリーレン』という物語の核心なのです。



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