『葬送のフリーレン』10巻は、七崩賢「黄金郷のマハト」を巡る物語が大きく動きます。フリーレン一行は、かつてマハトによって黄金に変えられた城塞都市ヴァイゼの謎に深く関わっていくことになります。本巻では、マハトの謎に包まれた過去、彼と人間との奇妙な関係、そしてデンケンとの深い因縁が描かれ、物語は緊迫の度を増していきます。
【ネタバレあらすじ】黄金郷に沈んだ記憶と因縁

第9巻の物語は、フリーレンが難攻不落の「黄金郷のマハト」の記憶の世界に入り込むところで終わりました。マハトの魔法「ディーアゴルゼ」は人類の魔法では解析も防御も不可能な「呪い」であり、圧倒的な絶望感が漂います。この状況を打開するため、マハトの100年分の記憶を精神世界で追体験し、その魔法の原理と弱点を探り出すというものでした。
そして10巻では、物語の大部分はマハトの過去へと深く潜行します。彼の探求の始まりは、ある神父に「悪意」や「罪悪感」を理解できないことを「可哀想に」と憐れまれたことでした。この出来事をきっかけに、彼は人間特有の感情を理解したいという、魔族としては極めて異質な願望を抱くようになります。
その探求の過程で、マハトはヴァイゼの領主であるグリュックと運命的な出会いを果たします。人間の悪意を知り尽くしたグリュックは、政敵の排除をマハトに依頼する見返りに、彼に「悪意」を教えるという奇妙な共犯関係を結びます。二人の間には数十年にわたる歪んだ友情が芽生え、マハトが悪意を抱いた瞬間に自害させるという「支配の石環」すら、悪意を持たない彼には無意味な茶番として機能します。
この関係性の中に、もう一つの重要な因縁が生まれます。グリュックに引き取られた孤児の少年デンケンが、マハトの魔法の弟子となるのです。未来の仇敵が、師として弟子に人類の魔法を丁寧に教えるという皮肉に満ちた日々が描かれます。
そして回想の終局、グリュックと共に過ごした長い年月の末、マハトは自らの「理解」を試すため、グリュック自身を含むヴァイゼのすべてを黄金に変えます。しかし、彼の心には何の感情も生まれませんでした。それは彼の探求が完全な失敗に終わった瞬間でした。
物語が現代に戻ったところで、突如として別の「無名の大魔族」ソリテールが介入します。彼女もまた人類の研究者ですが、その手法はマハトの捻くれた真摯さとは対照的に、冷徹で残忍な「実験」でした。彼女がヴァイゼを封じていた大結界を破壊したことで、封じ込めらていたマハトが解放されてしまいます。
解放されたマハトを前に、デンケンが立ちはだかります。彼は、フリーレンが魔法を解析し終えるまでの時間を稼ぐため、かつての師であり、妻の眠る故郷を奪った仇でもあるマハトに決死の戦いを挑むのです。
一方、フェルンとシュタルクは、ソリテールと対峙。人類にその名が知られていない大魔族、すなわち「遭遇した人間が生きて帰ったことがない」強敵を相手に、二人は苦戦を強いられます。
デンケンの奮闘もむなしく、マハトの圧倒的な力の前に追い詰められていきます。フェルンとシュタルクもソリテールの巧みな戦術に翻弄され、一行は絶体絶命の危機に陥ります。
ついにマハトの「ディーアゴルゼ」がデンケンたち、そして解析に集中するフリーレンをも黄金に変えようとしたその瞬間、フリーレンの瞳が開きます。永い時間に思えたマハトの記憶の旅路の果てに、彼女はついに呪いを打ち破る糸口を見つけ出したのでした。
「―――万物を黄金に変える魔法(ディーアゴルゼ)は、今この瞬間、”呪い”ではなくなった。」

希望の光が差し込んだところで、10巻は幕を閉じます。フリーレンの逆転劇、そしてマハト、ソリテールとの決戦の行方は、次巻へと持ち越されます。
魅力と見どころ①:七崩賢マハト – 「悪意」を求め続けた悲しき魔族

第10巻の最大の魅力は、七崩賢マハトというキャラクターの圧倒的な深さにあります。彼は単なる悪役ではなく、歩く哲学的パラドックスとして描かれます。
「悪意」という理解不能な概念への探求
マハトの存在意義は、彼自身には構造的に備わっていない「悪意」「罪悪感」といった概念の理解に捧げられています 。彼は七崩賢最強という絶大な力を持つ一方で、「人間を理解する」という最も重要な才能を決定的に欠いています 。この一点において、彼は作中で最も悲劇的な存在と言えるでしょう。彼の力は、彼が最も渇望するものを手に入れるためには全くの無力なのです。
このマハトの姿は、純粋な論理やデータ解析が、主観的な経験を理解する上でいかに無力であるかを示唆しています。彼は何十年もかけて人間を観察し、データを収集し、行動パターンを予測することさえできます。しかし、その行動の根底にある感情、つまり「なぜ」の部分には永遠に到達できません 。彼の悲劇は、感情や繋がりといった人生の根源的な要素は、観察や学習だけでは得られないという、物語からの痛烈なメッセージなのです。
悪意なき「悪」とグリュックとの奇妙な友情

マハトの特異性を際立たせるのが、ヴァイゼの領主グリュックとの関係です。利害の一致から始まったこの関係は、やがて歪んだ共感とでも言うべき奇妙な絆へと発展します 。人間の悪意にまみれたグリュックが、それを概念としてしか理解できないマハトに「悪意」を説く。この構図自体が強烈な皮肉を放っています。
さらにこの関係は、「悪意なき行為は悪か?」という根源的な問いを投げかけます。マハトは多くの人間を殺害しますが、彼に悪意がないため「支配の石環」は決して作動しません 。彼は悪意を持った犯罪者というよりは、知性を持った自然災害に近い存在です。物語は、行為そのものだけでなく、人間特有の「悪意」の有無によって「悪」を定義しようと試みているのです。
魅力と見どころ②:デンケンとソリテール – マハトを映す二つの鏡
マハトという複雑なキャラクターを理解する上で、彼を映し出す二つの鏡、デンケンとソリテールの存在は不可欠です。
デンケン:人間の不屈の魂の体現者
宮廷魔法使いデンケンは、この黄金郷の悲劇が生んだ最大の結晶です。故郷を滅ぼされ、敬愛する主君(であり義父)を奪われ、そしてその魔法の師は、元凶であるマハト本人でした 。彼の戦う動機は単純な復讐心ではなく、故郷を取り戻すという公的な義務と、不可能に挑む人間の誇りです。彼は「最後まで醜く足掻く」ことを信条とし、その不屈の精神は読者に強い感銘を与えます 。
ソリテール:悪魔的なる科学者

もしマハトが失敗した哲学者なら、ソリテールは成功した無慈悲な科学者です。彼女もマハト同様に人類に強い興味を抱いていますが、そこにマハトのような理解への渇望はありません。彼女にとって人間は、知的好奇心を満たすための実験動物であり、情報を引き出すための「お喋り」の相手に過ぎません。彼女は人間と魔族の間に横たわる絶望的な断絶を直視しており、その冷徹なまでの残忍さは、マハトとは質の異なる恐怖を感じさせます。
この二人の存在は、魔族の「人類への興味」が決して共存への道ではないことを示しています。マハトの哲学的探求も、ソリテールの科学的探求も、その動機がどうであれ、人類にとっては破滅的な結末しかもたらしません。これは、フリーレンが経験から導き出した「魔族は言葉が通じない捕食者である」という冷徹な現実を、より深く、より悲劇的に裏付けているのです。
魅力と見どころ③:交錯するテーマ – 「理解」と「対処」、そして「共存」の不可能性

第10巻は、『葬送のフリーレン』における人間と魔族の関係性を巡る議論の集大成です。物語は、いくつかの対立する概念を通じて、その核心に迫ります。
「理解」の失敗と「対処」の勝利
マハトの生涯は、「理解」しようとすることの完全な失敗の物語です 。彼は人間を理解しようとすればするほど、人間から遠ざかっていきました。
この物語の哲学的転換点は、皮肉にも魔族であるソリテールの口から語られます。彼女は、人類が歴史を通じて未知の脅威に打ち勝ってきたのは、その原理を「理解」したからではなく、未知を未知のまま「対処」する方法を発明してきたからだと説きます。人類は浮力の原理を解明する前から船を造り、波の原理を理解しないまま堤防を築いてきたのです 。
これはフリーレンがマハトの呪いを打ち破るための最大のヒントとなります。彼女は「ディーアゴルゼ」の原理を理解する必要はない。ただひたすらに観測し、その現象を覆す「対処法」を見つけ出せばよいのです。
魔族との共存の不可能性
この黄金郷の物語は、人間と魔族の共存がいかに不可能であるかを、これ以上なく明確に描き切っています。その断絶は憎しみや誤解といったレベルではなく、意識の構造そのものに起因する、生物学的な不可能性なのです 。誰よりも人間との共存を望んだマハト自身の行動が、その不可能性を最も雄弁に証明してしまったという悲劇は、この物語に計り知れない深みを与えています。
人類へのアプローチ比較:マハト vs ソリテール
| キャラクター | 目的 | 手法 | 信条 | 人類への影響 |
| マハト | 「悪意」「罪悪感」を理解し、共存を果たすこと | 長期的な接触、人間関係の構築、破滅的な「実験」 | 「彼らを理解できれば、共存できるはずだ」 | 共感への探求がもたらす、悲劇的で大規模な破壊 |
| ソリテール | 人間の行動様式への知的好奇心を満たすこと | 短期的かつ臨床的な観察、データ収集のための拷問や「お喋り」 | 「彼らは興味深いが、理解不能な異種族だ」 | 純粋な知的好奇心が生む、個人的でサディスティックな惨劇 |
この表が示すように、両者のアプローチは対照的ですが、どちらの道も人類にとっては破滅につながります。これは、魔族の知的好奇心がいかなる形であれ、平和への道ではないことを冷徹に示しています。
心に響く名言・名場面集

第10巻は、物語の哲学的な核心に触れる数々の名言と名場面に満ちています。
- 名言:「過程がわからなくとも、原理がわからなくとも、対処することだけはできる。人類は古来より未知を未知のまま扱う能力を持っている。」 – ソリテール
- 解説: 本作のテーマを凝縮した一言。知性とは完全な理解ではなく、現実的な適応能力であるという価値観の転換を示し、後のフリーレンの反撃の理論的支柱となります。
- 名場面:「支配の石環」を巡る茶番劇
- 解説: 貴族たちが絶対の安全装置と信じてマハトに石環をはめる中、その無意味さを知るマハトとグリュックだけが密かに笑みを交わす場面 。二人の歪んだ共犯関係と、人間側の魔族に対する根本的な誤解を見事に描き出した、皮肉に満ちた名シーンです。
- 名言:「だったら僕がイメージさせてやる。この世に不可能はないって。」 – ヒンメル
- 解説: 絶望的な状況で、永い時を生きるフリーレンにすら希望を灯そうとする勇者ヒンメルの言葉。人間の不屈の意志を象徴するこのセリフは、本作の魅力を体現しています。
- 名場面:マハトが幼いデンケンに魔法を教える日々
- 解説: 師と弟子として過ごした穏やかな時間の描写 。未来の宿命を知る読者にとって、これらの場面は胸を締め付けるほどの哀愁を帯びています。彼らの戦いが単なる善悪の対立ではなく、創造主とその被造物の間の避けられぬ悲劇であることを物語っています。
結論:次巻への布石と物語の深化
『葬送のフリーレン』第10巻は、単なる一章ではなく、シリーズ全体のテーマを深く掘り下げるための、傑作と言える論文です。一見すると停滞しているかのような、敵対者の内面へと深く潜る展開は、この物語の人間観と魔族観を定義づける上で不可欠な過程でした 。
フェルンたちが黄金に変えられてしまうという衝撃的な結末は、次巻への強烈な引きとなります 。しかし、この巻で丹念に積み上げられた「未知を未知のまま対処する」という哲学こそが、反撃の狼煙となるのです。来るべき戦いは、単なる魔法の応酬ではなく、人間と魔族、二つの相容れない生存哲学の激突となるでしょう。
黄金郷の物語は、フリーレンがこれまで漠然と抱いてきた「魔族とは相容れない」というルールの、悲劇的で論理的な証明でした。この深淵を覗き込んだ経験は、フリーレン一行の旅、そして読者の作品への理解を、より一層豊かで複雑なものにしていくに違いありません。





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